「他人は自分を映す鏡である」
そんな言葉がある。
他人をみて自分は「あんなことをしてはいけない」「こうなってはいけない」「あんなこと言うべきじゃない」その認識、価値観を映し出す鏡であるという意味の言葉。
自分が感じる他人の嫌な部分やダメな部分を見て、自分はそうならないようにしよう、心掛けようという人としての成長。
お昼にスーパーへ買い出しに出掛けた。
そこには学生さんがわんさか買い物をしていた。
5人程度の班がいくつかの塊となっていた。
メモを手にお金を計算しながら買い物をしていた。
何かのレクリエーションの準備なのだろう。
普段ではないある種非現実的な「同級生との買い物」を楽しんでいるご様子を微笑ましく見ていた。
お会計を済ませようとレジに向かうと会計済みの学生の皆さんがわんさかとサッカー台で購入したものをダンボールに詰めていた。
私の会計も終わりサッカー台に向かうが、どこにもスペースは無かった。
今日は買った品数が少なかったので、ちょっとした空きスペースでカートを台にエコバッグに商品を詰めた。
これに関しては何ら問題はない。
仕方がない事である。
問題はそこからであった。
エコバッグに詰め終わり、出入り口に向かう私。
出入り口までの僅かな距離に学生さんがわんさかおり、通るのが一苦労であった。
通路終盤辺りでそれは起こった。
学生がまるで通路を塞ぎ、見た目全く通れないところがあり、近付けば避けてくれるだろうと何も考えず進んでいった。
全く避ける気配がない。
その塞ぎ集団の先頭、まさに私の行手を阻んでいる男の子がこちらに振り返り目が合った。
そしてこちらを見つめたまま微動だにしない。
ほんの一瞬のお見合いタイム。
彼は意地でも動かない様子。
近くに先生らしき人がおり、私はそちらに目を向けた。
その先生らしき人と目が合ったが、どうもこの状況が見えていないらしい。
すぐ近くにいるのにだ。
するとその塞ぎ集団の1人の女の子が私に気付き、微動だにしない行手を阻む彼に注意し手を引っ張った。
こう文章にするとそれなりに長い時間での出来事のようにみえるが、ほんの数秒での出来事である。
通して欲しい旨、彼に発する否かという刹那の出来事である。
彼は一体、何を考えて突っ立っていたのだろう?と興味が湧いてしまった。
そして先生とは一体?
また、買い物中に少し疑問に思う事があった。
ポケットに手を突っ込んで歩く男の子が実に多かったのだ。
それは子供に限らず大人に対しても常日頃から疑問に思っていた事でもある。
あれは何の為にポケットに手を突っ込んでいるのだろう?
一利もない仕草に思うのだが…
手が異様に冷たいのだろうか?
転んだときは大怪我である。
転ばないとでも思っているのだろうか?
何よりも格好悪い。
格好いいと思ってやってる節もあるのだろうが、純粋に格好悪い。
他人は自分を映す鏡である。
「あんなことをしてはいけない」
「あんなふうになってはいけない」
またひとつ、人としての成長の機会を得た。
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