良い事は自分のお陰
悪い事は誰かの所為
商売がうまくいってるのは自分のお陰。
生活が苦しいのは国が悪いのだ。
例えばこの2つ。
どう思うだろう?
私にはどちらも不正解にしか読めない。
商売がうまくいってるのはお客さんのお陰。
生活が苦しいのは自分の所為である。
そこには人それぞれ家庭内の状況や世代による社会の状況もあるので一概に全てとは言えないだろう。
しかしアベレージな考え方なら…
どの職種も金額や仕事の迅速さ丁寧さ、利用しやすいシステム等、作り出したのは「自分」なのかもしれない。
だが、それがどんなに素晴らしいものでも「お客さん」がいなければ成り立たない。
故に商売がうまくいってるのはお客さんのお陰なのである。
私も所謂「飲み屋」という商売をしている。
どんなにアイデアを尽くし利用しやすいシステムや環境を作ってもお客さんに来ていただかない事には商売にならない。
しかし、前にも書いたがお客さんは「神様」ではない。
お店のルールを守れない、または他で来て頂いているお客さんに迷惑を掛ける、そんな人は「神様」どころか「お客さん」でもない。
お金を払えば何しても良い?
ちゃんちゃらおかしい。
数年に渡り何度も来ていただいている「お客さん」は本当に素敵な方しかいない。
私が今日も飲み屋でいられるのは、そんな素敵な皆さんのお陰なのです。
心より感謝です。
さて、生活が苦しいのは国が悪い。
これについてだが、それは「自分」が勉強しなかったからなのでは?と思うのだ。
何故、小中高大と勉強するのか?
そこで学んだものは社会で必要のないことばかりではないか!
という話を聞く。
学校で学んだ事はたしかに普段生活をするにあたり使わないものばかりである。
しかし、そこじゃないと思うのだ。
たくさん勉強して成績をあげれば選択肢が格段に増える。
今は学歴社会ではないなんて話もチラホラ聞くが、高学歴でなければ就けない職業はまだまだたくさんある。
たくさん勉強し、高学歴となれば職業の選択肢が格段に増える。
そうすれば生活が苦しいなんて事は起こりにくいのでは?
前記したがそこには家庭内の状況や社会の状況等があるので一概にそうとは言えないが、そもそも生活が苦しいのは国が全部悪いわけない。
もし税金がなくなったらこの国はどうなるか考えたことがあるだろうか?
これとこれがわかりやすい。
相変わらずこんな事ばかり書いてしまう。
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