またしてもエヴァの話になってしまうのだが・・・
シン・エヴァを見てからずっと考えていたことがある。
そして一つの答えに行き着いた。
その答えによって全ての「エヴァンゲリオン」をより理解できるかもしれない。
ソレをここに書き記したくなったのです。
では始めます。
まだ私もしっかりと整理はできておりません。
シンジ君らがいる世界とソレを見ている世界(ソレを作る世界も含む)の2世界が存在します。
スクリーンの中をも現実と考えるとです。
我々「ソレを見ている世界」に住む者からすると「シンジ君らがいる世界」はフィクションです。
しかし「シンジ君らがいる世界」にいるシンジ君らからすると「シンジ君らがいる世界」はノンフィクションです。
でもその「シンジ君らがいる世界」に生きるシンジ君らからしても「シンジ君の精神世界」はフィクションなのです。
我々「ソレを見ている世界」の者には、そのどちらもフィクションです。
では「シンジ君らがいる世界」から「ソレを見ている世界」の者はどう映るのか。
当然それはフィクションということになります。
シンジ君らからするとインパクトも起こらず、エヴァもいないそんな世界はフィクションなわけです。
「ソレを見ている世界」に生きる我々からすると「ソレを見ている世界」がノンフィクションです。
お互いがフィクションの世界でありお互いがノンフィクションの世界であります。
エヴァンゲリオンというものは「ソレを見ている世界」も含めて「エヴァンゲリオン」なのでは?と思ったのです。
つまりただ見ている私たちも「エヴァンゲリオン」という作品の一部なのです。
もちろん「エヴァンゲリオン」を作っている人達もその一部です。
と考えると、テレビ版、旧劇場版、新劇場版で展開される難解なシーン「シンジ君の精神世界」といった描写が少し理解できないだろいうか?
「ソレを見ている世界」も含めてのエヴァンゲリオンをもう一つ向こう側から見てみると難解なシーンの説明の足りない部分が補完できはしないだろうか?
なんてことにたどり着いたのです。
ただ、まだまだ中途半端な考えであるので実際、自分でも何言ってるんだがこんがらがる部分があります。
この世の「全て」からの解放を成す「人類補完計画」
それは「ソレを見ている世界」も含めてのことだったのかもしれない。
その世界を作り出した、創造した神「庵野秀明」による壮大なプロジェクトだったのかもしれない。
シン・エヴァの中でゲンドウが普段私が言っている「知識」についてのことと同じ話をするシーンがある。
私はゲンドウと同じ考えを持っていた。
そしてそれはこの世の本質なのかもしれない。
やはり生きるものとして一番必要なのは「知識」なのだ。
仏教の世界で「般若心経」では「智慧(知恵)の完成」を教え
聖書で神はアダムとイヴに「善悪の知識の実」を食べることを禁じた。
その後ソロモンは「善悪を正しく判断する知恵」を神に望む。
知識は自分を決して裏切らない。
知識は自分を助ける。
知識は他人を助ける。
知識はお金に変わる。
知識は生活を豊かにする。
もっともっと学びましょう。
学びを止めた時「人間」としての価値がなくなるのかもしれない。
何よりも「知ること」が大事なのだ。
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