世の中は知識はあっても経験がないとどうにもならないことが多い。
経験に勝るものはないのだ。
これは私の経験によるものである。
以前にも当ブログに書いたかと思うが、私にはこの世の事で知らない事を無くしたい欲がある。
ただ、興味が湧く湧かないで脳に蓄積される分量が変化する。
例えば、私は車に対して興味が薄い。
なんていう車のメーカーのなんていう車かなんてのはまず頭に入らない。
数年前まで「セダン」という名前の車があると思っていたほどである。
それが車の形であるということを知った瞬間は物凄い衝撃であった記憶がある。
それはさて置き、前述したが知識があっても経験がないとどうにもならない。
このところ、当店内の設備のことでDIYをしようと企んでいる。
知識の中で、或いは想像でわりと簡単に出来るものだと考えていた。
しかし、実際は経験してみないと知り得ない驚きの事実ばかり叩きつけられる。
なんとももどかしい。
「頭でっかち」という言葉がある。
曰く、知識や理屈ばかりで行動が伴わないこと。そういう人。
という意味だそうだ。
昔の人には感心させられる。
皆、その経験から言葉を作る。
「頭でっかち」という言葉を生み出すのに、その経験が必要になる。
やはり長かろうと短かろうと先人から学ぶべきなのだろう。
先人の方が経験しているのだから。
食べ物でもそうだろう。
フグの毒は誰かが食べて、その犠牲があったから食べられない物という事を知っている。
エビなんてのは冷静に見ると気持ちが悪い。
しかし昔の人が食べてみて美味しかったから食べ続けられ、今や食べることが普通となった。
先人無くして今はないのだ。
しかし、先人の時代には今に比べ圧倒的に技術がない。
現代人はさまざまな技術によって先人が知り得なかったことを知っている。
一体、これは何が書きたかったのだろう?
知識を得るのにも本を読めば知識が得られるという経験から…
頭がこんがらがってきた。
とにかくなんでも経験した方が良いのだろう。
ただ、経験を鼻にかけその知識でマウントを取るのはいただけない。
教えることは良いが、教え方ってものがある。
人は人の上に立ちたい生き物である。
人に何かを教えて満足したい生き物である。
…どうも話が散らかりがちだ。
この辺でやめておくのが良いだろう。
この判断は経験からくるものである。
ただ正解とも限らない。
そもそも頭から不正解であった可能性すらある。
世の中には経験があってもわからない事もあるようだ。
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