それは数ヶ月前のこと。
ホリエモンこと堀江貴文氏が生配信中に「野菜を食べる事」に対してリスナーに大激怒!なんて出来事があった。
その動画を拝見したが、言葉や態度は置いておいて、とても真っ当な事を仰ってると思った。
私も彼と同意見である。
野菜は美味しいから食べてるんだよ!
彼はそう言っていた。
私は野菜が得意ではない。
むしろ苦手だ。
全体的に苦手だ。
それでも歳を重ねるにつれ勝手に食べられるようになり、食べられるどころか美味しいとまで思うようになった野菜すらある。
「野菜を食べて偉いね」
「野菜も食べなきゃダメ」
堀江貴文氏はこのようなコメントにキレていた。
私は幼い頃、それなりに嫌いな野菜を食べようと努力「させられて」いた。
一口食べると「偉いね」と言われた。
幼心では気付かなかった。
そこには「野菜を食べる=偉い」という謎の方程式が作り上げられていたのだ。
ふとその事に気付いた私は褒められる事自体に疑問を持つ様になる。
「人に褒められる」とは必ず裏がある…と。
そんな話は置いといて、大人になって私が野菜嫌いだと知ってる人とご飯を共にする事が増えた。
私がふいに克服した野菜を食べていると、誰しもがほぼほぼ同じリアクションを取る。
「あれ?野菜食べてるの?」
「食べれるようになったの?」
「野菜嫌いじゃなかったっけ?」
このようなリアクションを取られると、正直野菜を食べる気がなくなる。
放っておいてほしい。
いちいち野菜にだけ反応してるんじゃないよ!と思う。
なんだか人の頭の中の根底に「野菜は美味しくない」があるのではないかと思う。
「野菜を食べて偉い」はつまり
「そもそも美味しくないけど、健康には欠かせない野菜を食べてるから偉い」
なのでは?
ていうか「偉い」ってなんだよ!
何をもって「偉い」んだよ!
私は「偉い」という言葉が嫌いだ。
もう「偉い」という言葉が「偉そう」なのよ。
意味わからんけど。
我々一般市民の大勢の中の1人に過ぎない、ゲームでいえばモブキャラの顔が2、3種類しかない人のうちの1人が「偉い」わけないじゃない。
「偉い」人なんて国の全体の1%にも満たないでしょうよ。
「会社の偉い人」程度ならいるかもしれないが、その人実際、会社以外では「偉く」ないのよ。
…なんだか話が脱線した。
野菜の話だった。
とにかく食べたくなきゃ食べなきゃいいし、人に強引に進める物でもないし、食べて「偉い」わけでもない。
野菜に限らず。
なんかね、個性の時代だの個人の時代だのと言ってるわりに、人に大きく干渉してくるよね。
世の中は。
「個性を大事にしてるんで!」という「あーそれ、誰かも言ってた」ていう個性のない事を言ってる人も多いよね。
…なんかもう、こういうのを書き出すと止まらないので、この辺で止めておきましょう。
このミーティングブログってミーティングの事何も書かないよね。
なんなんだろう?
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