50音の中のさ行。
「さ」「し」「す」「せ」「そ」
この音を発音するのに、人は「スースー」と摩擦音が鳴る。
これが私を悩ませた。
今から10数年前、病院にこそかかっていないが、かかっていれば立派な病名がつけられていたに違いないというそんな状態の精神だった私は幾度となく最期を求めた。
それでもソレは難しく、何度となく挫折した。
その経験があるから、また身近な他人のソレがあるから私は「命なめんな」という思想に行き着いた。
それが全てではないが。
10数年前のとある日、重くダルい身体を引きずりながら買い物と食事に出掛けた。
その日は特に調子が悪かった記憶がある。
車の助手席に乗り1時間半揺られ目的の町に到着した。
大型スーパーに入ると、そこには当然のことながら沢山の人がいた。
前から人の視線が嫌だった。
すれ違いざまのわずかな時間、他人のその顔が私を嘲笑ってるように感じるからだった。
しかし、その日はそれだけではなかったのだ。
前述した「さ行の摩擦音」がどうも耳に障る。
それがとある言葉に聞こえだしたのがお昼、レストランに入店してからだった。
そこはスパゲティのお店。
当時、スパカツが大好きだった私は早々に注文を済ませ、運ばれてくるのを待っていた。
相変わらず「さ行の摩擦音」が耳に障る。
他人の顔も見たくないので俯き携帯を見ていた。
当時はスマホなんてものはなく、ネットには繋がるものの今ほど見るものもない。
早くスパカツがこないものか…とモヤモヤしていた。
そんな数分を過ごしていると不意に「死ね」と聞こえたのだ。
ドキッとした。
汗が止まらなかった。
その瞬間から、耳に障っていた「さ行の摩擦音」が全て「死ね」に切り替わった。
一杯のレストラン。
男女、大人子供がたくさんいる。
その全員が「死ね」と言ってくる。
耐え切れるわけがない。
しかし注文したスパカツはまだ来ない。
このタイミングでの退店は迷惑以外のなにものでない。
一緒に来ていた人に話はしてみたが「気のせいだ」の一言で片付けられる。
もうどうすれば良いのかわからなくなってきたその時、スパカツが運ばれてきた。
取り敢えず食べよう。
急いで食べて急いで出よう。
そう思ったが、今度は熱々で食べられない。
その間、ずっと「死ね」と言われている。
もう限界だった。
私は意を決して、一緒に来ていた人に告げた。
「もう無理だ。先に車に乗っているから鍵をちょうだい。お金は後で払うから立て替えといて…」
その人は大した暑くもない店内で汗だくの私を見て「はい」と一言だけ発し、鍵をくれた事を覚えている。
きっと、すごい顔をしていたに違いない。
その人とは、すっかり疎遠になってしまったので、その時どう思ったかは聞くことができない。
一口二口程度しか食べていないスパカツ。
お店の人に申し訳ないと思いつつ、急いで退店し、急いで車に乗り込んだ。
ようやく「死ね」と言われなくなった。
その日以来、同じような経験はない。
しばらく怖くて人がたくさん集まるようなところに行かなかったからなのかもしれない。
しかし後遺症のようなものが残った。
ある程度でも心を許せる人が一緒にいて、且つ自分の背中は必ず壁側であるというところでしか食事が難しくなってしまった。
近年、それもかなり良くなってきてはいるが、未だ完全にとは言い難い。
当時、よく聴いていた曲をたまたま今日聴いて、こんな事があったなぁと思い出したので書いてみた。
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