それは今朝の事。
某大人気YouTuberの動画を観ていると「学ぶ」の語源は「まねぶ」であり、それはつまり「真似をする」という事であるといったようなお話が出てきた。
人は人の真似をする事で知識を深め、何れそれを自分のものにし成長していくのだろう。
少し話が違うのかもしれない。
書き終わってみないとわからないのだが…
世には「名言」なるものがある。
有名なところで言うと
「人間は考える葦である」だとかなんだとか。
そして先人や先輩、同僚、時に後輩からの人生の導きやアドバイスなんかもある。
それらに感化され
「仰る通り!自分もそうして生きていこう!」となるのは大いに結構な事である。
しかし、感化されただけで中身のない、まだ自分でも良くわかっていない薄っぺら状態で、それをあたかも理解し尽くしたかのように他人に説く方が少なくない。
そういった方は、その話に少し突っ込まれると返す事ができない。
何故ならそれは未だ他人の考えであり自分の考えではないからである。
基礎工事を終えていないのに家を建てているのだ。
しかもそれはハリボテなのです。
言葉にする、文字にする。
そうする限り、ソレにやはり責任を持たなくてはいけないと思うのです。
たかだかこのようなブログに日々偉そうな事を書いているが、その全てに対し私は最後まで自分の考えをお伝えする事ができます。
その全て、誰かの受け売りではないので当然です。
人は人に何かを教えたい生き物です。
少しでも他人の上に立ちたい生き物です。
欲望のまま、そうしたいのなら必要なのは知識だと思います。
ゼロから1を生み出せとまでは言いません。
1からでもいい。
人からの知識「1」を「2」に変える努力くらいはしないといけないと思うのです。
1番良くないのは「1」から「1」或いはソレ以下のケースです。
残念ながら、このパターンが多いと感じています。
更にいうと実際はその「1以下」なのに「5」や「10」かのようにお話しする方もあります。
今に言葉通り、自分の身は自分で守るような時代がくることでしょう。
今までの常識が常識でなくなり、日常が日常ではなくなることでしょう。
最早、新型コロナによってなってはいますが…
「更に」という意味です。
その原因は新型コロナのようなウィルスや病気だけではないかもしれない。
多くは語るまい。
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