2021年2月2日。
この日を最後に長期休業に入った。
何の事前情報もなく、その後の情報もなく長期休業に入った。
その時、私に何が起こったのか。
この記事ではその全てを書き記そうと思う。
2月3日午前。
目が覚めた私にあるのは妙なネガティブさと気の重さだった。
誰一人として人に会いたくない。
いや、会いたくないのではない。会えない。
それが実際であった。
食べることもままならず、何も手につかない。
気持ちがプツリと音を立てるように切れ、何もかも嫌になったのだ。
その瞬間に長期休業を決めた。
2月3日から10日程、家から出られなくなる。
その間、私は家で何をしていたのか。
私は様々な考えを巡らせていた。
主となるものは店を畳み移住するというプランであった。
コミュニティのリセット。
それしか考えられなかった。
移住支援を行っている地域を探し、そこで私には何ができるのか、そもそも何がしたいのか。
道内、新潟県、長野県、福井県、沖縄県での可能性を見つけそれぞれをリストアップした。
そこにはそれぞれの壁が立ちはだかる。
やりたい事を見つけ、その職種について調べると決まって「学士」以上の資格が必要であった。
つまりは「大卒」である。
現在36歳。
もうすぐ37歳となる私に、これから大学に通うという未来が想像できなかった。
インターネットのみで最短3年で「学士」を取得できる「サイバー大学」についても調べたが今の状況では現実的ではないと結論付いた。
高校を卒業し大学進学を選択しなかった事に強く後悔を覚えた。
やはりこの頃は「学歴社会ではない」と言われてはいるが学歴がなければ就けない職業が山ほどある。
わかってはいたが今回のことで身をもって実感した。
今の歳からでも遅くはないだろう。
しかし私にはその道を選択する「勇気」がないのだ。
飲食業。
そこに大きく立ちはだかる新型コロナウイルスによる影響。
この「彼ら」により作り出されたご時世に大打撃を受けている飲食業を新たに始めるほど悪手はない。
それでも上記の地域で売店舗物件を漁るように探したが、そもそもなかなか良い物件なんてものは出てこない。
現地に行って探すのが得策なのだろうが、ここにもかかってくる「このご時世」である。
万策尽きた。
こうなると気持ちが戻るのをただじっと待つしかないのである。
日々、外出も出来ず引きこもり少しずつ少しずつ気持ちが戻るのを待つ。
その妨げとなる出来事が毎日起きる。
その出来事とは・・・電話である。
基本的に私は「携帯を持っていない」という事になっている。
そこには様々な理由がある。
その理由については長くなるのでまた別の機会にしようと思う。
ただ、生半可な理由ではないとだけお伝えしておきたい。
電話帳に登録されていない電話番号は通知のみで鳴らない設定にしてある。
その中で同じ番号から日に多くて6回の着信がある。
それは今も続いている。
携帯番号であるその番号は飽きもせず懲りもせず毎日毎日せっせせっせと電話を掛けてきているようである。
まず、私の電話番号を知っている人は世に4名しかいない。はずである。
その4名は私が「電話を持っていない事になっている」理由を知り、十分に理解いただいている方々なのでそこから電話番号が漏洩することはあり得ない。
次に、書類や申込書等に携帯番号を記入しなければならないことがある。
そこには致し方なく記入している。
つまりはそういった業者等から個人情報である携帯番号が漏洩しているという事になる。
こうなるとますます着信の通知があるとて、こちらから折り返すことはない。
そして私の携帯番号を知っているなら電話でなくメッセージで用件を伝えることができるはずである。
それもしてこず毎日しつこく掛けてきているようである。
「電話」というものに私は否定的である。
掛けてこられたこちらから、そちらには全く用事はない。
そちらの都合で勝手に掛けてきて出ないと怒る。
いや、あなたの都合は知りませんけども?となる。
いかなる場面でもこれは変わらない。
例外なんてない。
「電話」とはある種マスターベーションなのだ。
この通知が来るたび気分が落ち込み、ついには全ての通知をオフにした。
携帯も日に2〜3度ほどしか開かないようにして日々を過ごした。
故に心配してLINEを送ってくださった皆様に対しリアクションを取ることができませんでした。
これにプラスして、とても返信できる精神状態ではなかったのです。
皆様にはこの場をお借りして謝罪申し上げます。
誠に申し訳ありませんでした。
休業3週間目くらいになると最初の頃よりは調子が上がってきて、このように文書を書いたり、ご飯を食べたり、何事も面倒くさく感じなくなったり、ようやく「生活」ができるようになってきた。
そこで私は知識を深めようと「般若心経」を読み解く事にしたのです。
般若心経とは皆様のご存知の通り所謂「お経」です。
わずか262文字で構成されているそれは「仏教」の教えをギュッと濃縮したと言って過言でないのです。
そんな「般若心経」を読み解いておりました。
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」から始まる262文字。
その262文字で「般若波羅蜜多」をするにはどうしたらいいのかと言っていると私は解釈しました。
「般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)」とは「智慧(ちえ)の完成」です。
般若心経の前半はとても哲学的で「はぁー・・・物事にはそう言った角度から見る方法があるのか」と妙に納得させられ、後半部分ではいよいよどうすれば・・・といったお話が語られ最後の最後に真言が述べられます。
般若心経とは読んでいてとてもワクワクする、下手な小説を読むよりも気持ちの良いものでした。
しかし、まだほとんど理解はしておりません。
なので上記の般若心経について説明じみた部分は「そうでないかもしれない」という事をご了承ください。
般若心経の読み解きはこれからも続けていこうと思っております。
その前に私は次に読まなくてはならない本があるのです。
その本とは「聖書」を読み解く本です。
仏教の般若心経の次はキリスト教の聖書です。
ちなみにその次も用意してありまして、それは「古事記」を読み解く本です。
つまりは日本の神々についてです。
なぜ急にこんなにも宗教に関した本を読み始めているのかと申しますと・・・簡単に申せば今後のためです。
時期にこの意味がわかる日が来ることでしょう。
皆さんも学んでおいた方がいいかもしれません。
自分を助けるのは実際、神でも仏でもなく己の知識です。
「知恵」とは
物事の道筋がわかり、うまく処理していける能力
とあります。
般若心経での「智慧」は「知恵」を超越したものです。
自分を助く知識を以て「知恵」を働かせ、ゆくゆくは「智慧」となるよう私は学びたいのです。
知識は自分を助ける他、他人も助け、また豊かなる生活の礎となり、あらゆる「苦」から解放されるきっかけにもなります。
知識は多ければ多いほどよいのです。
最後に豆知識を一つ。
世界のあらゆる国と比べ珍しいくらい日本では「宗教」に対し信用がないそうです。
また「テレビや新聞」いわゆる「マスコミ」に対しての信用が驚くほど高く、マスコミによる洗脳がしやすい国となっております。
それが一体何を意味するか・・・
少し考えて少し調べればすぐにわかります。
その常識は本当に常識ですか?
Comments