「人間とは欲に手足のついたものぞかし」
かの浮世草子、井原西鶴の名言である。
まさにその通りだ。
人間とは何をするにも何を選択するにも「欲」が大いに関わる。
「一度きりの人生だから悔いのないように生きる」という話をよく聞く。
私はそんなこと不可能だと思っている。
例えばA案B案があり、必ずどちらかを選択しなくてはならないとする。
そこでどちらを選ぼうとも「もしかしたら違う選択の方がよかったのでは?」と少なからず思うはずだ。
またA案を選び「B案の方が実は…」なんて思っても「いや、A案の方が良かったに違いない」と己に言い聞かせる。
人生とは大小の選択の連続であり、その選択もA案B案のようにシンプルなものばかりではなく、もっと入り組んだ面倒なものばかりだ。
故に人間である以上「悔いのない人生」なんて不可能に違いない。
そんな事を考え出したのが今日の夕方。
iPhoneで天気予報を眺めていた時だった。
9月も半ばに差し掛かりいよいよ冬がそう遠くない。
そろそろ雪を拝みたい。
そんな思いが込み上げた。
毎年このくらいの時期になれば考えだすと思った私は、このことに関して少し思考を掘ってみることにした。
雪が見たいと願い、いざ冬が来て雪が数ヶ月続く。
すると雪が溶け雨が降る風景を望みだす。
雪が恋しい、雨が恋しいの繰り返しを何年も延々と続けていたのだ。
なんて無駄なことなのだろう。
そんな風に思い出したが、それもこの時期の自分だけの風物詩なのだろうと無理矢理思考を片付けた。
そうしてひとつため息をつくと立ち上がり風呂に向かうのだ。
湯船にとっぷりと浸かりiPhoneを手にブログを書き始め15分。
暑くていよいよ入ってられなくなった私は湯船からやっと出て洗い場に雑に置かれた椅子に腰を下ろした。
お風呂に持ち込んだ水をたまに飲み、尚もブログを書き進める。
ここまでの動きを書き進めれば、何か「欲」や「ないものねだり」について思いつくか、はたまたうまいオチが思いつくかとの考えだったが…それはなかったようだ。
どうも終わり方がわからない。
ともすれば、この記事を書き始めなかった方が良かったのではないか?
書くというA案を選択した私は、書かないというB案を求め出した。
「人間とは欲に手足のついたものぞかし」
おわり
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