数年前ノーベル平和賞を受賞したケニア人女性マータイさんが来日した際感銘を受けたという「もったいない」という言葉。
「MOTTAINAI」を世界共通語に!と呼びかけていた事を覚えている。
今から70数年前。
戦中、戦後の日本は物資不足で大体が貧乏であった。
にも関わらず一家庭の家族の人数も多く生活するのも一苦労だった…なんて話はよく聞く話だ。
そんな暮らしの中、物を大事にするようになるのは至極自然な事である。
日本人は「もったいない」と言い何事も無駄にする事なく使い、或いは食べ生活していた。
それから「もったいない」精神は引き継がれ時代は令和。
今の時代、世の中は物で溢れかえっている。
なんでもかんでも余っている。
そんな中、引き継がれた「もったいない」
もう冷凍庫はパンパンではなかろうか?
家の中は物だらけではなかろうか?
私は思う。
その食べない物を取っておく、使わない物を取っておく、それらが置いてあるそのスペースこそ「もったいない」ではないか?と。
もちろん物を大事にする事はとても大切なことだ。
でも色々と大事にし過ぎて、それが多少なりとも生活の支障となっていては元も子もない。
昭和のあの時代の「もったいない」とは言葉は同じだが、その意味合いがかわってきているのではないか?と思うのだ。
とにかく物を大事にの「もったいない」から、人生効率を上げる為の「もったいない」へ。
人生は効率良く。
その方が利口だとは思わないだろうか?
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