音楽の世界。
突然一大ムーブメントを起こす曲が2、3年に1度くらい生まれる。
すると決まって次にリリースする曲は、その一大ムーブメントを起こした曲とコンセプトが似たようなものをリリースする。
それらは尽く売れない。
何故なのだろう?
何故売れないのだろう?ではない。
何故そのようなやり方、売り方なのだろう?だ。
先人から学ばないのだろうか?
本当に売れると思ってるのだろうか?
と、ふいに思った日曜日。
体重計に乗ってみると順調に体重が減っている。
そう密かなるダイエットを決行している。
その方法は「食べ過ぎない」
それだけ。
ゆっくり落とそう、目標体重を決めるのはやめよう。
そう思いつき意識して「食べ過ぎない」事を始めたのが8月頭の事。
ただ「食べ過ぎない」だけなのでまぁまぁ落ちない。
それでも今日までで約4Kg減を実現している。
我慢も辛抱もないこのダイエットは、実にノンストレスである。
皆さんは我慢と辛抱の違いを説明する事ができるだろうか?
その昔、とある本に書かれていたソレを読み、私は「はぁー!なるほど!」と感心し、まるで自分の事のように人にお話ししていた記憶がある。
「我慢」とは人にさせられるもので
「辛抱」とは自分でするものである。
ソレを学んだその日から、もともと他人に何かされるのが嫌いだった私は「我慢」な事も「辛抱」だと捉える事にした。
すると人生が少しだけ明るくなった、そんな気がした。
それからは心を許せる、信じても大丈夫、疑いもなく信頼している人に対してなら「我慢」な事でも良くなった。
わずかなストレスで「我慢」できるようになったのだ。
「我慢」のカロリーオフが実現されたのである。
「辛抱」となると「自分」のことなので、どこか諦めがつく。
問題は「我慢」から「辛抱」に変換する時のストレスの大きさなのだ。
「我慢」が大きければ大きいほど「辛抱」に変換するパワーが莫大に膨れ上がる。
そもそもその人を「信頼」しているから出来た「我慢」
その「我慢」から「辛抱」に切り替えなくてはならないという事は「信頼」できなくなったから。
幼き頃、親に「裏切られる」という出来事が実に多く、その頃から「人を信じる事」を辞めようと決めた。
極力他人に興味を持たずに生きる。
そうして大人になり「信じても大丈夫だと思える人」に出会う。
結果、その人にも大きく裏切られる。
その事で人への興味が尚一層無くなっていく。
そこで出会う「我慢」と「辛抱」の違いという話。
そしてたくさんの良い出会い。
また少しずつ、ゆっくり明るく。
それでも慎重に、何処か臆病で。
心の強い自分を自己プロデュースしていく。
人とはどんな事にも「慣れ」が生じる。
心の強い自分を過信し、またそれに慣れてしまう。
そして同じ過ちを繰り返す。
また人を信頼してしまい、また裏切られるのだ。
前ほど辛く感じる事はないが、それでも少しは滅入ってしまう。
怒りが込み上げる事もある。
早急に「我慢」から「辛抱」に切り替えなくてはならない。
その効率的な方法は未だわからない。
ひとりぽっちで引きこもり「全てを無に返す」そんなイメージで心を浄化していく。
楽しい事をして忘れちゃえばいいじゃない。
誰かが言い出しそうな事ランキング1位であるこれは、全くオススメしない。
その楽しい事にも終わりがある。
経験から、終わると反動で更に大きく、更に深く辛くなる。
楽しい事とは「楽」なこと。
「楽」はなんの成長ももたらさない。
どんな事に対しても成長しない、それを望まない人はどうかと思う。
少なくとも私は関わりたくない。
楽しければ全部オッケー
そんなわけあるかよ。と。
と、なんだか話が散らかってきてしまった。
結局、何が言いたかったのだろう?
今は心のバランスが悪い。
ゆっくりお風呂に入って本でも読んで整えよう。
「風呂は命の洗濯よ」
エヴァでミサトさんが言ってたな。
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